大船渡屋台村にある鮨 季節料理「ささき」で食べた、うにの握り寿司が絶品でした。
気仙沼市の「オイカワデニム」さんを後にした我々は大船渡市に向かったわけですが、途中にある陸前高田市にも寄りました。陸前高田市と言えば、「奇跡の一本松」が残っている場所です。
陸前高田市に向かう道中でも津波の足跡を見ることができるのですが、このように橋が欠落し、鉄が曲がっているのを見ると、津波の凄さを想像することができます。
一番上の画像は、陸前高田市の様子ですが、私が想像していたのとは全く違っていました。まだまだ復興が遅れ、焼き野原のような何もない土地が一面広がっているのかと思っていましたが、巨大なベルトコンベヤが設置されどんどん土地のかさ上げが進んでいました。山を切り崩して、なんと24時間土が運ばれて来ているのです。夜見ることはできませんでしたが、夜中もベルトコンベヤが動く様子は異様なようです。
時間の関係上近くで見ることはできませんでしたが、遠目に「奇跡の一本松」を見ることができました。
奇跡の一本松とは?
岩手県陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ松の木のモニュメントです。太平洋につながる広田湾に面した高田松原は、約7万本の松の木が茂っていましたが、東日本大地震による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅しました。しかし、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとしてとらえられるようになり、「奇跡の一本松」と呼ばれるようになりました。
しかし、この「奇跡の一本松」は根が腐り、実際には枯れている松ですが、復興への希望を象徴するものであることから、補強してモニュメントとして残されています。この補強作業には多額の税金がかかったと言われていますが、私個人的には残してよかったのではないかと思っています。このように津波の凄さ・怖さを他所から来たものでも体感することができます。気仙沼市に打上げられた大きな漁船があったかと思いますが、現在はすでに撤去されています。タクシーの運転手さんがおっしゃっていましたが、撤去してからは観光客や視察に来る人の足が遠のいているそうです。被災された方の心情はお察ししますが、気仙沼市の大きな漁船も残すべきたったのではないかと議論されていました。
さて、話は変わり、大船渡市の屋台村で夕食を取ることになりました。
コーディネートされた方から、3軒は寄って欲しいと言われましたので、気合いを入れて飲み食いするのに望みます。まずは、鮨 季節料理「ささき」さんに入りました。
実はこちらの「ささき」さんですが、大船渡市にやっと自分のお店を持った5ヶ月後に津波に合い、全部流されたそうです。新たにお店をしようと思う意欲には感服するところです。ご主人さんは「巻寿司」の日本チャンピオンにもなったことがある方ですので、自然に期待がふくらみます。
これは鮨ではないですが、白身の魚(名前を忘れました・・・)の外側を海苔で巻き、中には生姜と大葉が包まれております。
生姜と海苔と魚が絶妙にマッチし、本当に美味しい一品でした。
あなごも自慢料理の一つのようで、塩焼きとタレ焼きの二種類を頂きました。
外はカリッと、中はふわっと、これまた美味しいあなごでついついお酒が進んでしまいます。画像には残ってませんが、この地の地酒を2〜3杯頂きましたが、このあと2軒も回れるのか、不安がよぎってきました(汗)
一番美味しくて、驚いたのは、このウニの握り寿司です。
ウニの軍艦巻きはよく食べることができますが、海苔に巻かれていないウニの握り寿司を食べるのは初めてです。ウニの表面には粗塩が乗っていますので、これでそのまま食べて下さいとのこと。ウニの臭みも全く感じることなく、これはこれは美味いお寿司でした。やはりこの味は現地まで足を運ばないと絶対味わえないものですね。
このあとは大分酔いも進み、お約束の全部で3軒は寄ってもらいたいというのは守れましたが、全然写真は撮れませんでした。
唯一残っていたのが、こちらの「海来(みらい)ハイボール」です。通常のハイボールにブルーキュラソーが入ったもので、海をイメージしたハイボールです。海を活かしたまちづくりを始めようとしてできたハイボールのようです。
ヘロヘロになってホテルに入ったわけですが、このあとの記憶はあまり残っておりません。三陸の美味しいものを十分堪能することができたのが、非常に満足でした。皆さんももし大船渡屋台村に行った際には、必ず三軒は寄って下さい。他にも気になるお店がいくつかありましたが、また行く機会があれば楽しみにしたいです。