香川県立高松西高等学校第14期生、卒業以来の同窓会に参加してきました。
今回は食べ物ネタでも、高知ネタでもありません。久しぶりに高松に帰省したわけは、卒業以来となった高校の同窓会に参加したかったからです。前にも触れたかもしれませんが、私は今でこそ高知県に移住・定住していますが、父親の仕事の関係上、小学3年生までは香川県高松市・東京世田谷区の転校の繰り返しでした。小学3年生の途中に高松に転校してからは高校を卒業するまで高松におりました。
この話をするとまたややこしくなるのですが、両親とも出身は高知で祖父・祖母の家も高知市内に残っております。私も本籍と高知となるのですが、私自身は生まれたのは高松です。で育ちも高松。高知では住んだこともないのですけど、ゆかりはあるわけで、たまに「よく高松から移り住んでよく来たねー。凄いねー!」と言われることがあるのですが、ゆかりの話をするとがっかりされることも(笑)
逆にそんなゆかりもあるので、高知に馴染むのが早かったかもしれません。言葉も土佐弁となり、すっかり讃岐弁を忘れてしまいました。久しぶりに会う同級生としゃべっても、讃岐弁に戻ることができません(汗)
私自身、高校を卒業してから高校の同級生とほとんど連絡を取ってなかったので、他の人はたまに同窓会を開催していたかもしれませんが、私は卒業以来に会う人がほとんどでした。
総勢40名ぐらいの参加だったんでしょうか、この写真を見てわかるように、女性ばかりのハーレム状態の同窓会でした。この日もために東京・静岡・大阪からわざわざ帰省して人も。更に凄いのは遠いおフランスからも帰って来ていました。中にはもう実家が高松にはなくて、友達の家に泊まってでも参加してた強者もいました(笑)
ちょうど我々は第二次ベビーブームに生まれた年代ですので、当時クラス数も多く、全部で10クラスあったと記憶しています。一緒のクラスになった人・同じ部活だった人はなんとなく覚えているのですが、それ以外の人は記憶にない人が多く、卒業アルバムをチェックしてながらでないと記憶が蘇ってきません。しかも、自分の卒業アルバムを紛失したようで、事前チェック・帰ってからの復習もできないのです。
男性は太ったもしくは髪の毛が薄くなったぐらいなので、すぐわかるのですが、女性は髪型に化粧に服装にと、当時の面影は全くありませんので、全然わかりませんね・・・(汗)苗字も変わってるから、なおさらです。けど、幹事の粋なはからいで、旧姓での名札を用意してくれていたのが助かりました。
香川県立高松西高等学校の第14期生となりますが、当時を振り返ってもいろんなエピソードが蘇ってきます。学校が盆栽が有名な鬼無という地名で、山の上に位置しておりましたので、毎朝の通勤が大変でした。私は自転車で30分ほどかけて通っていましたが、今思うとなぜあんな坂を毎日登っていたのだろうと思うぐらいです(笑)しかもヘルメットをかぶって・・・(笑)そのヘルメットをかぶってなかったら、当時の先生から大目玉をくらっていたのも不思議です。
色気付き始めた頃ですから、髪型なんかも気になるわけで、せっかくセットした髪型が潰れるのが嫌だったのを覚えています。今となってはどうでもいい話なのですが。そんな昔ばなしに盛り上がり、あっと言う間の二時間でした。
今でこそ小さい会社ですが、経営者となり、自己主張や自分の意見をはっきりというようになりましたが、小学校〜高校まではできるだけ人前に立ったりするのが嫌で目立たないようにしていた大人しい性格でした。今思えば、自分を出せばよかったと思う次第です。また違った高校生活を送れていたでしょうし、もっとモテたかもしれません(笑)
そんなこともあって、今の性格があるのも確かです。おかげで今ははっきり物事を言い過ぎることがありますので、気をつけないといけないこともしばしば・・・
次高校の同窓会がいつ開催されるかわかりませんが、またあるようでしたら、集まりたいですね。けど、次集まるのは三回目の成人式(60歳)みたいな話も出てましたけど、もうちょっと前に集まりたいものですね。同窓会も楽しみですが、いつか母校が甲子園に出てくれることも、超期待しています。ちょうど高校野球をやってる頃やからそう思うのではなく、生きてる間に一回は甲子園に行けるチャンスがあることを願っています。