末広について– About –

株式会社末広のあゆみ
地域と共に歩む、挑戦の歴史

四国山脈の豊かな自然に抱かれた嶺北地域の高知県土佐町で、1958年の創業以来、地域と共に歩んできた株式会社末広。
私たちは「地域になくてはならないスーパー」として、お客様の暮らしに寄り添い、食を通じて地域社会の発展に貢献してまいりました。

高知自動車道大豊インターから約20分の距離に位置する高知県土佐町に本社を構え、現在では「地域密着型スーパー」として嶺北地域に3店舗となりました。
従業員の約8割を地域で雇用することで、地域の雇用創出に貢献し、経済の活性化・地域住民の生活の安定につながっております。


創業から地域密着
への道のり

創業者の情熱と先見の明

株式会社末広は、1958年に創業者である「山下末廣」によって、わずか10畳ほどの土間を店舗とした「末広商店」として開業しました。

「山下末廣」は農業を嫌い、当時まだ珍しかったオート三輪で特産品を運び、闇米を仕入れるなど、新しい商売の形を模索しました。

その後、精米所の拡張や鉄筋2階建ての建物建設を経て、1966年には映画館跡地を買い取り「末広スーパー」を開店。

早明浦ダムの工事が始まり、町の人口や賑わいが増す中で商売も拡大していきました。
しかし、ダム工事の終盤には客足が半減する危機に直面。
「山下末廣」は当時田んぼが広がる現在本社がある場所への移転を決意し、1年間毎日交通量を調査するなど、その先見の明と情熱で周囲の反対を押し切りました。

1970年7月、「末広ショッピングセンター」として移転オープンを迎えました。

台風を乗り越え、新たな挑戦へ

移転オープンからわずか1ヶ月後、大型台風10号が高知県を襲い、店舗は甚大な被害を受けました。

銀行からの融資も困難な中、「山下末廣」は生命保険を担保に資金を借り入れ、従業員たちの昼夜を問わない働きによって1週間で店舗を修復、再開を果たしました。

この窮地が転機となり、山下末廣の妻である「山下都」の提案で自社で料理やお寿司、羊羹、餅などを本格的に製造するようになります。

これが後の1976年に誕生した総合結婚式場「フォーラム末広」(当時の「末広殿」)へと繋がり、スーパーマーケット、仕出し、披露宴会場を兼ね備えるという全国でも珍しいビジネスモデルを確立しました。

危機を乗り越える挑戦:
現場主義と多角化の精神

大都市への挑戦と学び

過疎高齢化が進む嶺北地域を見据え、二代目社長の「山下修(創業者の長男)」は、人が多く集まる市街地での事業展開に挑戦しました。
本山町や南国市での出店は断念したものの、高知市内で弁当屋やディスカウント酒店「酒の帝王」を展開。
「酒の帝王」は10年間で60億円を売り上げる成功を収めましたが、酒類流通の規制緩和を見越して閉店しました。

これらの経験から、「現場主義」の重要性と、失敗を恐れず、しかし撤退のタイミングを見誤らないという経営哲学を学び、本業であるスーパー本体の強化に繋げました。

地域への恩返し:
限界集落での出店

末広は、「地域になくてはならない」という考えを常に持ち続けています。

2014年には、大豊町住民の買い物困難を解決するため、大豊町やJA土佐れいほくの要請を受け、赤字覚悟で「末広おおとよ店」を出店しました。
当時の大豊町の人口は約4500人、高齢化率50%以上の「限界自治体」であり、このような地域での新規スーパー出店は全国的にも珍しい取り組みでした。

この挑戦は、予想に反して売上を伸ばし、従業員の意識向上にも繋がるなど、地域と共に生きる末広の姿勢を示す成功事例となりました。


「田舎は安心、田舎はうまい」
こだわりの食への追求

食の安全への覚悟

二代目社長の「山下修」は、有吉佐和子氏の小説「複合汚染」や船井幸雄氏の「スーパーは毒を売って儲けている」という言葉に衝撃を受け、食品を扱う者としての覚悟を問い直しました。

欧米のスーパーでオーガニック製品が当たり前に並んでいる光景に影響を受け、地域にオーガニック製品が少ないならと、自らが農業を始めました。

EM(有用微生物群)を使用した有機農業に果敢にチャレンジし、初代「有機のがっこう」理事長として有機農業の発展に寄与しました。

有機農業でのお米の栽培は全国的にも珍しく、試行錯誤しながら様々な農法にチャレンジしました。

食用米のみならず酒米も栽培し、桂月で有名な嶺北地域の酒蔵「土佐酒造」に、自分で作ったお米でオリジナルのお酒を作るのが山下修の夢でした。

現場から生まれる
「すえひろの味」

農業を始めたことで、「田舎は安心、田舎はうまい」という現在の末広のコンセプトが明確になりました。

2007年頃から自社製造の食品では化学調味料を極力使わない取り組みを進め、地域の生産者との連携を深め、その声を商品づくりや売場に生かしています。お客様からは「すえひろの味で育ってきたき。」という温かい言葉をもらうなど、味への厳しいチェックと期待が、従業員の励みとなっています。

三代目社長の「山下由子(山下修の妻)」は、売場でとにかく目立つ商品を作ろう!と手のひらサイズほどの大きな大きな蒸しパン「はいからケーキ」を開発しました。どこか昔懐かしさを感じさせる素朴な味は人気を博し、日本全国のスーパーや専門店に販売してもらうほどの商品となりました。

人を大切にする社風:
共に働き、共に成長する喜び

人は無限の資産である

末広は、「人は無限の資産である」という考えのもと、従業員の働きがいを重視しています。

約100名の従業員となった今では、従業員同士のコミュニケーションを大切にストレスのない環境を作ることを目指しています。

末広ならではの社内行事がたくさんあり、定年後も楽しくイキイキと働ける魅力的な会社になります。

現場主義とプロ意識

末広は「商売の原点は現場主義」を貫き、社長自身もエプロンをして現場で働くことで、従業員との距離を縮め、信頼関係を築いています。

従業員全員が食を扱うプロとして、「末広でしか食べれない・買えない◯◯があるお店になる」ことを目標と掲げ、味・原材料・製法・SDGs・見た目でお客様にワクワクを提供し続けます。

働きやすい環境

末広では、仕事をやりやすくする環境を整えて備えるという「環境整備」という社内文化があります。

日々、小さなことをコツコツと改善を積み重ね、働きやすさの向上に努めています。スーパーでこのような取り組みをしているのは珍しく、同業種を問わず他業種からも末広に見学に来たいという要望が増えました。

年2回程度、会社見学の場を設けており、全国各地から視察・勉強にお越しになられることが、従業員の自信にも繋がっております。