弊社創業者の家内、山下都さんの米寿のお祝いを行いました。
弊社創業者の山下末廣(お亡くなりになっております)さんの奥さん、山下都さんの米寿のお祝いを、フォーラム末広で行いました。
当社の社名は、創業者である山下末廣さんが事業をはじめましたので、末廣さんの名前を取ってつけています。
山下都さんは88歳を迎え、以前ほど活動的ではないですが、それでも漬物をつけたり、料理をしたりと一戦を退いてからも、元気なお方です。
元々親族だけでお祝いしようという話でスタートしましたが、気がつけば100名を超え、フォーラム末広の会場半分が満席となり、山下都さんの人柄をうかがうことができます。
山下都さん本人も友達に何名から声をかけたようで、同性代のお友達がたくさんお祝いに来てくれていました。
その他には、創業当時の末広を支えてくれていた元従業員の方々もかけつけて頂き、嬉しいことだったと思います。
主催者挨拶としまして、息子の山下修(弊社会長)がご挨拶。
実は、この挨拶の前には山下都さんの半生を紹介したDVDが流れまして、よく残っていましたねーという写真があったり、私も知らない末広ショッピングセンターの前身の様子や、山下都さんの働きぶりが紹介されました。
いいDVDだったので、当社の歴史を知る上でも、何かの機会にご紹介できればいいなと思います。
お待ちかねの乾杯は、孫を代表して宅間健朗さんが行いました。
親族だけならまだしも、お客様もどっさりおるのに、なんで親族が乾杯の挨拶をせんといかんのじゃ!と最後まで駄々をこねていましたが、笑いもあり、お涙頂戴もあり、素晴らしい乾杯挨拶でした。
ちなみに、山下都の子供は3名、孫は9名、ひ孫は17名ですので、一族の大きさ、絆の強さがおわかりになろうかと思います。
その絆が強すぎて、一族による一族のための宴会になっていくのでした・・・(笑)
娘二人と孫によるフラダンスがあったり、
孫とひ孫による、AKB48の恋するフォーチュンクッキーの踊りがあったり、
もういっちょ、ゴールデンボンバーの女々しくてを踊ったり、
ちなみに一番手前が娘で、一番奥の男性がその息子です。さらには先頭で踊ってる男性がその息子です。
親子三世代で余興をやるなんて、ほんと楽しくて、ちょっと変わった一族だと思いませんか?
私も10年前に一族の仲間入りをしたのですが、谷脇家とは全然違うカラーに大きさなので、最初は戸惑いましたけど、今でも慣れない面もありますね。
更には、娘がどうしてもしゃべりたいというので、娘による過去のエピソードを紹介して頂きました。
エピソード紹介というより、漫談のようになっていましたけど、話されていたエピソードを紹介したいと思います。
末広はスーパーを始める前、米屋からスタートしており、小学校から商売を手伝っていた。
父親(末廣さん)は夜になると飲みに出ていき、代わりにお米を配達しなければならなかった。
車はもちろん運転できないので、今のような軽い自転車ではなく、重っい自転車で配達しなければならなかった。
お米も重いし、自転車も重い、これが嫌で嫌でたまならく、今でもその辛さを覚えている。
当時はこの地域も景気がよくて、至るところに料亭があって、芸者遊びをするのが当たり前の時代。
自分の家の裏にも料亭があって、夜三味線の音がうるさくて、勉強ができなかったのは、そのせい(笑)
父親(末廣さん)がよく料亭に行くので、仕事の電話がかかって来た時には呼びにいかないといけない。
どの料亭にいるかわからないので、かったぱしから父はいますかー!?料亭回りするのも嫌だった。
などなど、今では想像もつかないようなエピソードを紹介してくれました。
時代は変わって、今ではそんなことはできないですけど、楽しい時代だったのではないかと想像できます。
ちょっと話を面白くするために身内ばっかり紹介してきましたが(笑)、もちろんお客様も盛り上げて頂きました。
お友達による「花は咲く」の合唱は、よかったです。
最後に一族揃っての記念写真を一枚。
これでも参加した親族全員が写ってるわけではありません。
もうちょっといるんですけど、まとまりが悪く、結局一族全員で撮った写真は一枚もありませんでした。
こういった機会でもないと、遠く離れた一族が集まる機会もそうそうなく、いいお祝いとなったと思います。
私も楽しくて、ついつい飲み過ぎてしまいました。
普段、一眼レフは食べ物メインで撮っていますが、この日は人物メインで撮りました。
その分、食べ物を撮り忘れたのが少々心残りではありますが・・・・
山下都さんには、これからも元気で長生きしてもらい、親族の成長に末広の繁栄を見守って頂きたいと思います。
本当におめでとうございました!!
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